レトロ感も漂う都会の中の下町「じぞう通り」

江戸時代からの由緒ある寺院や、戦後間もなくから続く老舗と、おしゃれな美容院、カフェ、ブティックなどが同居する「じぞう通り」は、レトロ感も漂う「都会の中の下町」です。若者から中高年、お年寄りまで気軽に買い物や食事を楽しめる街です。

「じぞう通り」の名前の由来

昭和30年代までは、平田屋川と呼ばれる川でしたが、埋め立てられて1本の通りになりました。

「じぞう通り」という愛称は1987(昭和62)年に付けられました。それまでは、本通りこそ有名だったが、広島市内で愛称で呼ばれる通りはまだ少なく、鯉城通り、城南通りなどの名前が付いたころだった。 

前年に、毎日文化センター広島の今村新三・初代館長の呼びかけで、地元の40歳そこそこの商店主が集まって、「私達の街を考える会」が発足した。

街づくりについて議論を交わすうち、この通りの命名から始めようという声が上がった。はがきなどで愛称を募ったところ、「フラワーロード」「南並木通り」など5候補に絞られた。平和大通りを挟んで北側の並木通りが、おしゃれで都会的な雰囲気なのに対して、「庶民的で雑多なのが、この通りの特長」と、庶民的な街の雰囲気にぴったりの名前「じぞう通り」を選びました。

昭和62(1987)年10月25日に命名を祝い、第1回じぞう通り祭りを開催。2007年には、命名20周年の節目を迎えました。

名所

じぞう通りの北西「小町」界隈は、かつては東の寺町といわれ、江戸時代に浄土真宗以外のお寺が集められた。本照寺(日蓮宗)には、原爆で被災した墓石でつくった仏心搭や、東京裁判で日本無罪論を主張したパール博士(インド)が書いた大亜細亜悲願之碑がある。ほかに、あごなし地蔵ほか多くの地蔵をまつった延命院(真言宗)、被爆したクロガネモチなどがある金龍禅寺(臨済宗)、浅野家家老で茶人の上田宗箇以来、上田家の菩提寺となった禅林寺(臨済宗)などがある。

じぞう通り界隈

通りの北入り口にある竹屋地蔵は、夜泣き地蔵・首なし地蔵とも呼ばれています。毎日、100人以上が参拝しています。 
通りの南、国泰寺中学裏の荒神堂は、かまどの神様、火の神様。境内には建物疎開作業中に被爆した山中高女、第二県女の慰霊碑がある。 
じぞう通りの北西、小町かいわいは、東の寺町といわれ、江戸時代に、浄土真宗以外のお寺が集められた。本照寺(日蓮宗)には、原爆で被災した墓石でつくった仏心搭や、東京裁判で日本無罪論を主張したパール博士(インド)が書いた大亜細亜悲願之碑がある。
ほかに、あごなし地蔵ほか多くの地蔵をまつった延命院(真言宗)、被爆したクロガネモチなどがある金龍寺(臨済宗)、浅野家家老で茶人の上田宗箇以来、上田家の菩提寺となった禅林寺(臨済宗)などがある。 
名物は、広島を代表する和菓子店として名高い、風雅堂の「ひろ柿」など。

じぞう通りにぎわい作り委員会

以前「じぞう通り商店街」にも素敵なホームページがありました。しかし、昔のホームページのURL  http://www.jizodori.com を開くと全く関係のないホームページが・・・・

 

「じぞう通り商店街」のホームページがいつの間にか消滅していました。

 

商店街のホームページがなくなっても、各お店のホームページから情報発信・集客しているから「じぞう通り商店街」のホームーページはいらないのでは?

 

お店ごとに情報発信・食べログなどのポータルサイトで紹介されることはもちろん大事なことです。

 

「商店街」という空間では、商店街の中で頑張っている個々のお店のつながりがとても大切です。

 

そのためにも「商店街のホームページ」 「商店街のマップ作り」はとても重要な役目を果たします!!

 

新しいホームページは、じぞう通りで日々頑張っておられるお店にご案内し、この「つながり」をご理解いただけるお店さま(有志)で構成するホームページになります。

 

■じぞう通りにぎわい作り委員会

 実行委員長    株式会社だるま商事   三井 茂夫  

 広告宣伝部長  佐藤 美功